菊は「神農本草経」に耐老延年の薬であると書かれています。

と、いうわけで、御飯茶碗は、菊慈童。菊の露をのんで不老不死を得たという美少年。名は慈童または彭祖、御能にもなっていますね。ひととき仙郷に遊ぶような、清涼な曲として知られていますが、愛した人はとっくの昔に亡くなって、自分だけは愛された昔の姿のままに不老不死って、本当にめでたいことなんでしょうかしらね。

 ともあれ、お椀の中の茸御飯。その味付けは大徳寺納豆です。

菊を愛したことで有名なのは後鳥羽の院でしょうか。皇室の十六弁の菊花紋は,院の創案であろうとも言われています。その割に新古今和歌集の菊花の歌はあまり記憶に残っていません。私は美しい、と思ったものは忘れないのですけど、桜の歌は秀歌数多ですが、菊の歌はこれという歌が浮かびません。菊の、苦みを帯びた香りとか、白菊の末枯れて紫がかってくる様子とか、好きなのですけれど。

右側の菊花文様片口には、お隣の御ばーちゃんからいただいた、芋茎の煮たのを、真蛸と一緒に酢のものにしたもの。

その上の小鳥のお皿には西京焼き、秋の季語に「小鳥来る」が、あります。これはいつもいる小鳥ではなく,漂鳥とか、秋になってくる小鳥のこと。

鳥百羽描きて古都に小鳥来る  おるか

菊花紋 木の葉形大皿に、南瓜の煮たのやら、近くの漁港に上がったバイ貝のお刺身など。

その向こうの大鉢に果物。大鉢はなんでもいっぱい入って便利です。猫が入っていてびっくりしたこともあります。

菊の詩歌は思い浮かびませんがその他の文学作品だったら、聊斎志異の菊花の姉弟の物語でしょうか。ほのかに、もの哀れな美感が、日本人好みです。せんき【漢字が出ない)老人こと上田秋成の「菊花の契り」も幽霊(魂)が秋の野の上をおぼろにやってくるあたりがうつくしいとおもいました。約束を守るために自刃という過剰さが愛なのでしょうかねー。

菊食うべせんなきものの腑に落ちぬ  おるか

せんなきもの、広辞苑には、仕方のない、無益なもの、などとあります。

昔出会った人の、何故かひどく つっけんどんだなと感じた態度が、実は、照れていたのだな、などと思い至ったりする。いまさら気づいてもしようがない、そんなささやかなあれこれの思い出される秋の日。

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