
- 花ころ

裏の山桜が咲き始めました。窓の前の枝垂桜はちらほらというところ。
花冷えというのでしょうか。ようやく蕾が色づいてきたと思ったら、妙に肌寒くなりました。
花時というのは、心が落ち着きませんね。
春風の花を散らすとみる夢は覚めても胸のさわぐなりけり 西行(山家集春上)
夢の中でも吉野の桜を眺めていられたら、すてきでしょうね。散り行く姿に胸が騒ぐと言っても、その儚さが さくらなのですし。
まぁ、吉野山の「一目千本」はたしかにみごとですが、そのかわり人出は「一目万人」ですものね。
花見にとむれつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にぞありける 山家集春上
西行もよっぽど辟易したのでしょうね。
さて、生きた花に先駆けて、テーブルの上の器でお花見といたしましょう。
干支の箸置きの向う、染付さくら模様飯碗にタケノコ御飯。碗の外側は,波に桜です。
朱塗りの汁椀の上右側は色絵の桜模様六角皿にアスパラ。ザーサイ入りのアイルランドソースかけ。
中欧は祥瑞手さくらに鳳凰図.真鯛のお刺身。左側の四角い豆皿にほんの一口大根の煮たのの胡麻よごし。
その上の小鉢に、タケノコの煮たの。小鉢の外側は蕨手文様です。古染付にある模様ですが、ワラビは日本人しか食べないとどこかで聞いたことがありますが本当でしょうか?
小鉢の向う、花びら形の豆皿にヒジキ。そのまた向こうに色絵の葉桜模様の汲みだし茶碗。
奥の大鉢は、花筏模様。花筏は移ろいゆく花の儚さを強調した模様かも知れませんね。
その右下、色絵の小鉢にさやえんどうと新じゃが芋の煮転がし 染付の小鉢は人参の山椒味のひじ和え。
年ごとに同じ桜の木を眺め、同じような料理を桜の器に盛っていますが、「年年歳歳、花相似たり/ 歳々年々人 同じからず」の詩句のように繰り返す歳月の中に思いは移り変わるものですね。
若いときは自己嫌悪がきつかったけど、今はそれにも疲れたせいか、それほど悩むわけでもない。かといってすべて肯定できるほど人格ができてるわけでもない。しょうがないなーと言っている間に過ぎてゆく春。
さくら貝瞼にのせてしばし死ぬ おるか
瞼の裏の仄かにあかるい花のころ。
20260401

















